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最近の若いもんは

 先日長野へ遊びに行った。母と姉と私の3人でする旅行は、主に母がセッティングをしてくれて、私ら娘たちはほとんど何もしない。私に至ってはお金も出していない。いつまでもこんなんじゃダメだな、と思いつつ甘えてしまっている。私は甘えた大学生像の典型のような感じである。これで大学生であることを楽しめていないので全く世話ない。旅行は楽しかった。

 

 ここからは偏見や思い込みでしかない雑記を少々書く。論文だったら0点のやつである。

 無料通話アプリLINEという文言が新聞の社会面に踊ることが増えた。わたしも普段からLINEを使用している。人と連絡を取ること自体そう多くはないのでまあいらないといえばいらないが、バイト先の共通グループで便利に使わせてもらっている。スタンプを購入することもある。

 さて最近、児童生徒(児童はないか?)による殺人・暴行事件の報道において、連絡手段でLINEを使用していたことを強調しているような気がする。LINEとかいうよくわからないツールを使って事件を起こしている、凶悪だ、最近の若い子は怖いねえというような。

「最近の若い子は」というのは人類史上でも古くから重用される言い回しだと聞く。20代くらいになるともう言い出すやつがいる(30からはババアとかいうインターネットクソ理論が道理を引っ込めてしまったのではないか?全く人生80年の時代に笑止千万である)。

 では、最近の若い子は凶悪化しているのかと言ったら、特にそういうわけではないと思う。そもそも人間は凶悪だ。思春期の人間は完全に狂っているし、そこから社会的に成熟できなかった人間は成人してもいかれているのではないだろうか。そしてそれは特別な落伍者ではないのではないか。

 LINEには「既読スルー」とかいうキモい風潮がある。既読をつけたらすぐに返さないと云々とかいうアレである。正直よく知らない。集団におもねらなければ排除するという振る舞いが最近の若者にだけ見られるものかというと、違うと思う。

 現在22歳の私が中学・高校生の頃は、既に携帯電話が一般に普及し始めていた。中学はまだ一部の人間しか使っていなかったが、高校へ上がるとクラスの2/3くらいは持っていたんじゃないかと思う。これくらいの世代の人間なら「メールを何分以内に返さなかったらハブられる」説を聞いたことがあるのではないだろうか。あるいは経験したことがある人もいるかもしれない。ちょっとガワが違うだけで、本質は同じではないか。仮に自分が経験しなかったにせよ、社会現象として取り扱われていたというのは記憶にあるだろう。

また、最近未成年が威力の高い空気砲を作成ししょっ引かれた事件があった。「おそるべきことに材料はホームセンターなどに売っているものであり、その作成方法インターネットに載っているという…」みたいなことが書いてあった。今や核兵器の設計書すら落ちているのに(リチャードムラーの著書で見ましたどれだかは忘れた)、いまさら何をという感じである。核兵器に関しては一番大事な材料の調達が難しいとか、要求される技術レベルが非常に高いだとかそういう問題があるので同じ議論にするのは無理があるか。今更ということである。

 なぜ人は若い子を非難するのだろうか。可能性として考えたのは、世代間のギャップと未知のツールへの恐怖である。そして究極的に言えば、人間は全員他人でそれぞれの思考があるわけだから、誰ともわかりあえない。人間は終わってる。

 まず世代間のギャップというのは言わずもがな、世代間のギャップである。ある程度年代が離れることで、社会情勢、政治、ムーブメント、行動様式、価値観など取り巻く環境は変化する。文化が違えばなんとなく折り合いがつかないっていうのは人類あるあるだ。

 未知のツールというのは主にインターネットである。更に言えばパソコンである。我が家でのインターネット導入はおそらく90年代からゼロ年代へ変わる頃だった。ダイアルアップ接続でピーーーーーヒョローーーーーというマヌケな音を聞いて育った。小学校ではパソコンの授業があり、一人一枚のフロッピーディスクを持ち、一太郎スマイルのデータを大切に保存していた(自治体ごとに差はあるだろう。その他公営、また私立小学校については全く知らない。)。パソコンというかマイコンの一般化、そしてインターネットの普及というのは、つい最近の出来事である。生まれた頃からその環境にいる我々と、その上の世代には隔絶が存在するはずである。

 しかし、世代でくくるのは乱暴とも言える。上の世代でもインターネット、パソコンに関わってきた人々というのは慢然とパソコンを触ってきた若い世代よりも多くの知識をもっていて、まあこれは当たり前か。世代というのはあくまで傾向であり、個人レベルで見たらいつの世もそれぞれがそれぞれの歴史を持ってそれぞれの行動をしているわけで、一緒くたにして「若いもんは」って言うのはいかがなものかということだ。「老害」なんていうはんかくせえ言葉もそうだ。人間は等しく凶悪で、人間は個人個人がそれぞれの人生を歩んでいる。社会経験と知識、それに裏打ちされた理性だけが、インテリジェントの想定する常識を踏襲する。

 結論、全てが不毛であるということだ。そして報道というのはまず消費者に注目されなくてはいけないからセンセーショナルになりがちで、なんというか、だからなんだということである。よくわからなくなってしまった。

 

 LINEについてもう少し。未知のツールであるLINEについて、親世代の人間と話すと「メールでいいやん」「電話でいいやん」というような意見をよく貰う。わたしも最初はそう思っていた。また、当初はカカオトークViberなどの無料通話アプリが主導権争いをしていたのだ。しかし、現在はLINE一強、猫も杓子もLINEである。規格が統一されてしまうと、それを使ったほうがはるかに便利になる。私はアンドロイドを使ったことがないので、iPhone使用者としてのLINE使用メリットを考えてみた。キャリアはソフトバンクです。

 まず、「メールでいいやん」というのがなかなか面倒臭い。iPhoneに振り分けられるアドレスだけで3つくらいある。ドメインが①「softbank.ne.jp」のもの、②「i.softbank.jp」のもの、そして③icloudのアドレス。わたしは現状「me.com」と「icloud.com」があると認識している。①がMMSで使用できるアドレス、②③④は「メール」アプリで使用できるアドレス。使い分けとかできないし、メールアプリだと差し出し人として複数のメールアドレスで贈ってしまい、受信者を混乱させてしまうことがままあった。それにauiPhoneを売り始めたとき、メールサーバーが死んで結構話題になったように記憶している。

 「電話でいいやん」というのはまあそうだが、四六時中電話に出られるわけではないし、電話の内容は記録に残らない。それならば緊急性の低いものはメールのほうが好ましいのではないか。私個人としては、電話が苦手なので、自分のペースで推敲して文書で返信できるのは大変助かる。

 そして今では当たり前のようになっているが、チャット形式での表示というのは結構便利なものである。かつてYahoo!やMSNでメッセンジャーというものがあった。あれをやっていた人なら、LINEを敬遠していてもめちゃくちゃ馴染めると思う。今もあるんだろうか。

 LINEによる規格の統一化が叩き潰したものがある。デコメールだ。太古、人々は顔文字を創出し、絵文字を打ち、デコメールへと発展させた。デコメール、通称デコメはなんやかんやしてメールに背景色つけたり文字色つけたり小さい画像を挿入して可愛くするやつである。もうみんな忘れてしまっただろうか。

わたしの記憶に強く残っているのは、2009年の1月のことである。お正月、男も女もこぞって「あけおめメール」を送信する。わたしはiPhone3G(白でした)を使っていて、デコメは作れなかった。iPhoneのヌメヌメしたキモい絵文字で一生懸命メールを装飾した。iPhoneの絵文字はキモいが、相手が受信するときは各キャリアのカワイイ絵文字になっているはずだった。そもそも絵文字の互換だって、いや、長くなるからやめよう。さてお正月にあけおメールを受信したわたしは愕然とした。MMS、吹き出し形式のメールアプリで受信したデコメールは、文字色や背景色は愚か、文章の途中で挿入された画像も表示されない。句読点も感嘆符もまるでない冷ややかな文字が送られてきて、そのあと大量に小さい画像が送られてくるのである。ぴかぴか光るやつは光らず、動くやつは動かず、新年早々うら寂しい気分になったものだった。

 その数年後、装飾の機能は「LINEスタンプ」が担うこととなった。メールサーバーにメールを受信しにいかなくなり、リアルタイムで文章のやりとりができるようになると、1つ1つチマチマ文字色を変える必要がなくなった。そこでスタンプによって手軽な装飾、感情表現の補助ができるようになった。LINE絵文字はキャリアの絵文字よりも豊富であり超便利だエビの絵文字もある、すごいなLINE

 LINEの便利さ挙げ続けたら終わらないことに気づいた。連絡先の自動追加とかバーコードとか端末引き継ぎとかとにかく便利だ。すごい。便利なものがあったら使いたいし、どんどん便利にしていきたい。そしてLINE全入時代となり人口に膾炙していった今、飛び抜けて支持されるツールとしてさらなる成長を遂げることは確かである。

 

 便利なツールというのは得てして使い方を誤ると大変なことになるというような結論が無難だろうか。技術の発達は必ずしも豊かさだけをもたらすものではないということを肝に銘じたい。インターネットは祝祭であり、災厄でもある。そして若者は狂っている。

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