記憶の無い海

 今日はツイッターの女の子たちとお酒を飲んだ。とっても楽しかった。
 死にたい日もあるけど、まだその時期じゃないかなと思ってとりあえず生きている。困難は多い。それでもこうやって楽しいことがあるから、明日への希望を持って生きることができる。重い荷物を括り付けられた老いぼれのロバのように、まだわたしは生きている。

 房総の海が嫌いだ。
 浦安の、薄汚い港の方がよっぽど美しいと思う。房総の海岸線が嫌いだ。嫌な思い出があるせいだ。これは私怨で、房総の海に罪は無い。太平洋でもとりわけ房総の海が嫌いだ。日が昇る前に海岸線からちらちら光る航空障害灯の赤が嫌いだ。喉に刺さった魚の骨みたいな記憶で、実際わたしはそこで鯵の骨が喉に刺さった。

 実家は内陸部にあり、海との縁が薄い。海を見ると興奮してしまう。さざめく大洗の海が好きだ。常陸の波で足を洗うのが好きだ。静岡の白浜ではトビウオが跳ね回っていて、福井の薄暗い海には便器が流れ着いていた。和歌山の真っ暗な海辺には釣り人がたくさんいた。瀬戸内海はあんまりにも凪いでいて興奮しない。オホーツクの海は夏でも冷たい。知床の海は冬になると凍結してしまう。ロシアから氷が流れ着く。沖縄の海は同じ日本と思い難いほどに鮮やかな青だった。
 海は美しくて、恐ろしい。

 島根の海岸のことを思い出す。冬の日本海。
 以前父が島根に単身赴任していて、自律神経を失調していた姉と二人で遊びにいったことがある。
 冬の荒々しい日本海の海岸で、わたしたちはバカみたいに笑いながら海岸で追いかけっこをした。
 姉は元気ではなかったし、父も僻地での暮らしにうんざりしていた。わたしはまだ何も知らない、思春期の子供だった。
 仕事へ向かう父を放って、わたしたちはバスに乗って海へ向かった。岩場のウミネコがニャアニャア鳴くのを見て笑った。そして海岸を走った。
 わたしは何も知らなかったし、知ろうともしていなかったけれど、そのささやかな国内旅行は美しい思い出として思い起こされる。
 姉は元気ではなくて、痩せ細っていたけれど、誰もいないわたしたち二人きりの海岸で笑いながら走り回った。翌日参ってしまった姉は父の住処で寝ていて、一人で出雲大社へ参拝したのも良い思い出である。

 今ではわたしが様々を損ねているし、家族全員大円団とはどうしてもいかないけれど、わたしにとって強烈な海は、あの冬の島根だ。バクテリアで薄暗く染まった真っ黒な海だ。
広告を非表示にする