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みんぱく

 1970年、日本で初めて万博博覧会が開催される。開催地は大阪府吹田市。会場のシンボルには岡本太郎の作品、巨大な「太陽の塔」。当時の人々はこぞって万博へ行きたがったという。

 原子力が「夢のエネルギー」として人口に膾炙したきっかけでもあった。近畿圏におけるエスカレーターの”左空け”文化が始まったのも万博の混雑時事故防止のためというのが通説らしい。

 万博が終わるとそこは記念公園となり、博物館や民芸館が開館した。遊園地ができたりもしたが、事故やらの不祥事で閉園してしまった。

 ちなみに現在は商業施設「エキスポシティ」がオープン間近である。

 

 ところで、来阪して数余年、わたしは万博記念公園へ行ったことがなかった。遠くから太陽の塔を見たことはあった。夜中に、赤い航空障害灯を光らせ不気味に立ちすくんでいる太陽の塔

 

 前述のとおり、万博記念公園内には博物館がある。いや、公園内というのは語弊があり、正確には公園の敷地外である。なんだかややこしいが、とにかく博物館がある。

 「国立民族博物館」。1977年に開館し、文化人類学民俗学の研究ならびに一般展示を行っている施設である。世界各地の文化、そして音楽・言語・宗教については横断的に、網羅されている。おそらく日本最強の民族博物館だろう。

 今学期、民俗学に関する講義を履修しているため、学習の参考になるかと思い軽い気持ちで行ってみた。ちょうど母が遊びに来ていたので、おにぎりを作って持って行こうかなんていうピクニック気分で、万博記念公園へ赴いた。時間があったら、エキスポパビリオンとか、コスモスなんかも見たいね、なんて言って。

 

 さて、これ以下は画像が多く挿入されている。通信環境が悪い方は展開をしないほうが良いかもしれない。

 万博記念公園の正面入り口は、大阪モノレール万博記念公園駅」が最寄りだ。余談だがモノレールの分岐が美しかった。

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 そして正面ゲートをくぐると、太陽の塔がそびえ立っている。でかい。これはでかい。「黄金の顔」がびかびかに輝いている。

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高さは70m。70mという高さがどれくらいかはよくわからないが、改めて写真を見ると木々との比較してもでかいなあと思う。これらの木はおそらく万国博覧会が終わり、公園としての運用が決まってから植えられたのだろうから、樹齢40年ちょっとというところだろうか。でかいな。

 太陽の塔には3つの顔がある。一番上の「黄金の顔」は未来を表し、中心部の「太陽の顔」は現在、そして背中には過去を表す「黒い太陽」が描かれている。

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 黒い太陽がご覧いただけるだろうか?何かの建造物の影となってしまいよく見えないが、これはこれで万博の遺産であるものなので無碍に邪魔だと言ってはいけない。

 

 広場のベンチに腰掛け、おにぎりを食べた。本当にいい天気で、日曜なので人がたくさんいて、それでいて混み合ってはおらず、とてものどかだった。

 母は「以前みんぱくへ行ったことがあるけれど、1時間半くらいで全部見れると思うよ」と言った。わたしは少し曖昧な返事をした。何故なら、指導教員からの言葉が引っかかっていたからである。

 師匠は、あそこは一日で見終えることなどできない、と予言した。人類学者である研究員の友人に案内してもらって、とてもじゃないけれど一日ですべて見ることは不可能だったと言っていた。

 

 お昼を食べ終え、一抹の不安を抱えたまま、私たちは入館した。ちなみに一般料金は420円、学生は250円。1階のエントランスにはミュージアムショップや無料で観覧できる簡単な展示などがある。

 2階で入館料を払った時点で、母は「ごめん、2階は来たことなかった」と呟いた。私たちは長い長い旅に出ることが決まった。地球を一周するべく、電子ガイドを借りた。電子ガイドは無料で貸出されており、PSPにVTRが保存されていて、展示物に振られた番号と対応するVTRを選んで閲覧するというちょっとローテクなものである。

 

 簡単な流れは、オセアニアから出発して地球をぐるりと東に周り、日本に帰ってくるという形である。

 「オセアニア」はオーストラリアはもちろん、太平洋に浮かぶ諸島々をも網羅している。漁業や航海技術、そしてイースター島で有名な食人文化。

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人肉食用フォークである。ちなみにオセアニア系のモニュメントは陰の茎がアレしてるソレが多く、仁王立ちした男性の足元で豚が口を開いているという像を見たとき、黙りこんでしまった。

 オセアニアについては歴史上あまり話題に上がらないということもあり、知らないことばかりで、ものすごく時間を使ってしまった。すごい仮面とかすごいかっこいい武器とかがあって、それでも金属がないので石や木で出来ていてすごかった。近接戦闘用と思わしき「サメの牙がびっしり生えた棒」なんかは、見た瞬間にうわあっと思った。

 

 死屍累々のオセアニアを抜けると、アメリカ・ヨーロッパである。このへんはなんとなく知っていることも多く、なるほどおという感じで見ていた。

 というか、このあたりで気づいてしまったのだが、じっくり見ていると閉館時間が来てしまう。まあ知っているかなというところはスルーしないと、日本へ帰れない。

 

 アフリカは、独自の文化に加え、植民地支配、宗教、地理上も遠く馴染みのない地域でありスルーできなかった。アフリカは北部ではイスラーム教、南部ではキリスト教の国が多いそうだ。

 また、研究員の恐るべき執念にも触れた。ザンビアの「ニャウ」「ニャウ・ヨレンバ」にまつわる話なのだが、これは秘密結社に関することでおおっぴらにするのは憚られる。足を運んだ際には必ず電子ガイドを借りて、ニャウに関する映像を拝見していただきたい。

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いろいろ割愛して、織物の写真だけ紹介しておく。

 

 そしてアジアだが、アジアは広い。西アジア、南アジア、東南アジア…ここでやっと展示場の半分である。後半戦は中央・北アジア、中国、朝鮮半島アイヌ文化、そしてやっと日本である。

 そろそろ読者の方々も疲れてきたのではないだろうか。わたしはアフリカを見終わった時点で、これはやばいと思った。まだ半分も見ていないのに、中東にたどり着いていない、と。

 

 みんぱくへ来たらしっかりご覧いただきたいのが、この「キスワ」である。

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黒字に金色の糸でアラビア語の刺繍が施されたこの大きな布は、イスラーム教における最高の聖地である「カーバ神殿」を覆うものである。

 キスワはヒジュラ暦の”巡礼の月”にカーバ神殿を覆う。ムスリムなら一生に一度は巡礼に行きたい、とされるメッカはカーバ神殿、それを覆う神聖な布である。一年に一度取り替えられるそうなのだが、その際にキスワは破棄されることなく、お守りとしてムスリムに分配される(らしい)。その貴重なものを、1970年、サウジアラビアは贈ってくれた。そして今でも展示されている。イスラーム教に興味がある人もない人も、是非見てほしい。

 中東関連だとベドウィンと呼ばれる遊牧民のらくだグッズが可愛かったので載せておく。

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 東南アジアまで来るともう死にかけていて、主に体力が限界になってしまっていて、服が綺麗だなとかこれ知っているなとか、道祖神っぽいなみたいなことを考えていた。朝鮮へ来たとき少しホッとしたが、このあと中国なのかと思った。残念ながら中国は広いし、ロシアもあるし、そこからサハリンを経てアイヌへ行き…

 ということでもう書くのも疲れてしまったのでもう今日はこれくらいにしておきます。日本の民俗学について知見を深めに行ったはずが、日本ゾーンについた頃には閉館10分前のアナウンスが流れていて、それくらい後半は駆け足だったのだ。

 

 そういえば中国に関して一つ。ある少数民族の住居を再現した展示があり、ふらふらと入って見ていたのだが、何気なく壁に「メタンガス測定器」などが展示物として置いてあり、驚いた。なんと豚の糞を燃料に生活をしていた、あるいはしているらしい。マッドマックスサンダードームではないか!!!!

 

 みんぱくは本当に一日持っていかれる施設だった。研究員たちの情熱も感じられた。ひしひしと感じ取れた。情熱的だった。絶対に行くべきである。別に全部を見なくても良いから、自分の興味のあるコーナーだけ見るのでも十分楽しめるはずである。

 明日も忙しいのにこんな文章をだらだら書いていたら遅くなってしまった。早くお風呂に入って寝ることにする。

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